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音環境研究の歩みと展望 派生・変容する課題の研究をプロアクティブに推進

公害防止に端を発した騒音制御工学

わが国では高度成長期に種々の公害が顕在化するなか、騒音・振動問題は都市への人口集中も相まって、生活に密着した社会問題となっていった。急速な交通インフラの整備によって道路・鉄道・航空機の騒音は激化し、戦後復興から続く住工混在地域は工場・事業場の騒音に支配され、至る所で建築・土木工事の騒音が鳴り響き、劣悪な音環境が広がっていた。こうした状況に対して、国は1960年代後半から70年代前半にかけて、公害防止の観点から公害対策基本法に基づく騒音関連の各種環境基準、騒音規制法、振動規制法を急速に整備することになった。

これらの法令の基盤となる騒音・振動の測定・評価方法の検討には、当時さまざまな分野の研究者が関与した。そして、その時期に設立した米国騒音制御工学会が運営する国際会議が日本で開催されたことを契機に、76年に日本騒音制御工学会が誕生することになる。当初から学会員は音響物理学、機械・建築・土木・電気・情報などの工学、医学、生理学、心理学、社会学などの研究者に加えて、行政、製造、建設、コンサルタントなどの技術者・実務者から構成され、多くの分野の協働により急務であった公害防止の枠組みづくりと対策実践に取り組むとともに、騒音制御研究の本格的な展開が始まった。

騒音対策から音環境管理へ

2000年頃までの四半世紀では、騒音公害の根源となる産業・交通機械の音源系対策が一気に進み、伝搬系対策としての防音塀や建物の遮音構造の開発も活発化した。また、騒音・振動の計測・予測・制御技術とともに、聴覚・振動感覚の心理実験や住民反応・健康影響の社会調査による人間側の研究も盛んに行われ、騒音制御工学は単なる対策技術を越えて、学際的・総合的な研究分野へと成長していった。法令による規制に加えてこうした研究分野の貢献もあり、産業公害型の騒音問題は確実に減少していったが、一方で道路騒音や生活・営業に由来する近隣騒音などは課題として残された。

その後、環境分野全般の流れとして、騒音・振動分野もアセスメントと管理の時代を迎える。90年代末の環境基準の改定や環境影響評価法などの制定を受けて、交通・建設工事・工場・大規模小売店舗の騒音予測手法の整備が順次進められた。それに伴って、地域における曝露量管理や情報公開の面からモニタリングやマッピングの重要性が増し、自動計測・地理情報システム・数値シミュレーションなどの関連技術が積極的に導入されるようになった。最近ではIoT・ウェアラブルセンサーやAI分析の活用により、室内から地域までさまざまな空間スケールで音環境管理の高度化が模索されている。

ウェルビーイングな音環境に向けて

音環境は人間にとって感覚環境の一つであるが、多分に意味性や情報性を含み、社会・文化・経済とも密接に関係している。従って、音環境のウェルビーイングに向けては、騒音問題への対策だけでなく、さまざまな関係性を視野に入れる必要がある。サウンドスケープの概念はまちや地域のあり方までを考えるものとして、近年では世界中で学際的な研究が広がっている。また、音源系対策では騒音低減にとどまらない音質に着目した快音化の研究が推進され、建築分野でも公共空間の快適性やワークプレイスの知的生産性を高める音環境づくりなど、ポジティブな面に着目した研究も増えつつある。

一方、時代の移り変わりとともに、新しい騒音問題は絶えず出現する。今世紀に入り、グリーン技術として普及した風力発電施設や家庭用ヒートポンプは低周波音問題を引き起こし、未だ完全な解決には至っていない。住宅では高気密・高断熱化に伴って遮音性が高くなり、些細な音が苦情につながる「静かすぎる問題」も起きるようになった。交通関連では電気自動車(EV)・ハイブリッド車(HV)の低騒音化に伴い、静かすぎることへの安全性対策として、接近通報音の研究が進められ、目下は次世代交通の空飛ぶクルマ(eVTOL)の影響評価が注目されている。このように次々と派生・変容していく音環境の課題に対して、音環境研究をプロアクティブに進めていかなくてはならない。

 日本騒音制御工学会会長(東京大学教授)佐久間 哲哉

音環境研究の歩みと展望 派生・変容する課題の研究をプロアクティブに推進 日本騒音制御工学会会長(東京大学教授)佐久間 哲哉_日本騒音制御工学会会長(東京大学教授) 佐久間 哲哉
日本騒音制御工学会会長(東京大学教授) 佐久間 哲哉