環境福祉学講座（168）　恩賜財団済生会理事長　炭谷　茂　漁業の歴史からみる環境福祉（４）　漁民の環境への高い関心

瀬戸内海の漁業と暮らし

５月25日、香川県済生会は、「ヤングケアラー問題を考える」と題したシンポジウムを高松市の「かがわ国際会議場」で開催した。全国各地からの参加も含め１００名以上が参加した。ヤングケアラーの実態に疎かった私にとっては、現代の貧困問題が凝縮している問題だと認識できた。

深刻な問題が議論されていた一方で、会議場からは春の穏やかな瀬戸内海が見下ろせた。女木島、男木島、直島、豊島等の数多くの島が、穏やかな海に芸術的に配置されている。のんびりと見ているだけで安らぎを感じる。海と島とが絶妙に組み合わされた風景は、人間の精神に大きくプラスになる。これらの島々を含め、この地域は、第１号の国立公園として１９３４年（昭和９年）に指定された。１府10県にまたがる面積90万ヘクタールを超える日本最大の国立公園であるが、国立公園の目的である「国民の保健、休養、教化」に貢献してきたと実感できる。

この地域は、日本の歴史でも文化が早くから栄え、人と自然とが共存してきた。海を中心に発展し、遣隋使、遣唐使、北前船、朝鮮通信使の航路に使われ、潮待ち・風待ちのための多くの港町が発展した。今日でも鞆の浦のように歴史的な景観が残されている町が存在する。

漁業の面では、多数の河川が瀬戸内海という閉鎖性海域に流れ込み、豊富な栄養分を提供した。魚種もカタクチイワシ、シラス、マダイなど多種に及ぶ。これがイカナゴのくぎ煮、ママカリ寿司、フグ料理など各地に著名な郷土料理を生んでいる。

しかし、高度成長期に埋め立ての拡大による藻場や干潟の減少、工場や家庭排水による赤潮の発生等で魚介類の生息環境が悪化し、漁業生産量は頭打ちになった。漁業は、環境の影響を直接的に受けるので、漁業者は環境に敏感である。

漁業と環境

海の環境はどこでも漁業や漁村の形成に決定的な影響を与える。世界の三大漁場であるアイスランド・イギリス・ノルウェー近海、アメリカ・カナダの東海岸であるグランドバンク、釧路沖・三陸沖・常磐沖はいずれも海流が流れ込み、プランクトンが大量に発生し、魚が大量に集まる海域である。

私は40年前にノルウェーのフィヨルド地方を訪れたが、フィヨルドの奥地に港が発展していた。漁業と観光で成り立っている小さな町が並んでいた。フィヨルド地方の中心都市であるベルゲンに滞在したが、13世紀には一時、ノルウェーの首都だった。漁業基地として発展した都市であるが、今でも豊富な魚介類が並ぶ魚市場やたくさんの魚料理のレストランから、漁業で繁栄した都市だと推察できる。

22年度の世界の水産物の漁獲量・生産量では、ノルウェーは第９位で、同国の主要産業になっている。ノルウェーが環境問題に関心が高く、地球温暖化問題を始め国際的に活発な活動を展開している理由は、ここにあるのだろう。

日本は周りを海で囲まれ、海流が流れ、魚介類を豊富に収穫できたので、古代から漁業が盛んであった。室町時代までは自家消費や限定された地域内での販売に限られていたが、平和な江戸時代に入ると、江戸や大阪など大消費地向けに魚介類を販売する漁業者も現われた。漁業を専業とする者が増え、魚介類の仲買人も現われた。

しかし、この時代の漁業技術や保存技術では、持続的な漁業に影響を与えるほどの乱獲は起こらなかった。日本は古来から海で誰もが自由に漁業をしてもかまわなかったが、江戸時代に入り、幕府は、海岸に近い磯は地元の漁業者に対し共同で独占的に利用する権利を与え、沖合は従来通り誰もが自由に漁業を行えることを定めた。この結果、漁業者の共同体は藩に税を納めて海の排他的利用権を得、自主的に漁獲制限を行い、環境を守るようになった。

排他的利用権は明治時代に入り漁業権として法律で認められ、今日に至っている。

漁業と人のつながり

漁業は多くの人による協働で行う作業が多い。沖合では水難という危険が潜む。自ずと互いに助け合うので、地域での人の結び付きが強くなる。漁村では強固なコミュニティが形成され、相互扶助の風土が形成された。全国に散在する多くの村は、漁場へのアクセスの有利性や漁港の立地などから、離島や半島など交通アクセスが不便な地域に存在するが、人の結び付きが強いコミュニティが形成されているので、生活条件は悪くなかった。

江戸時代に形成された海の排他的利用権は、漁村での自治によって管理されたので、漁村の団結力を一層強固にした。この権利は明治に入って、法律で漁民の個別の所有権ではなく、漁村の「総有」とされたが、現在の民法の教科書では「総有」の代表例として必ず記載されている。