東風西風(2025年7月30日)

災害は誰のせいか。防災行動は誰が責任を持つべきものなのか。地上に暮らす人々は等しく被災のリスクにさらされており、特殊な事情がなければ災害は誰かや何かのせいではないだろう。しかし誰とも無関係でもない。ひとたび罹災すれば避難や被害を余儀なくされる。自分自身や、他の誰かが根本的に責任を持つとも、持たないとも言えないにも関わらず▼石破茂首相の一声で設置に向け準備が進む防災庁。その検討過程で提起された論点に「国民の主体的な防災行動」の重要性が上がった。識者は言う。「防災は行政サービスではなく行政によるサポートという認識を社会で共有すべき」「主客未分・中動態の防災を目指すべき」。主客未分・中動態とは「するかされるか」の二者択一の思考を乗り越える態度を指しておりそれぞれ西田幾多郎と国分功一郎の哲学者2氏に由来する。国分氏によると「する」側に責任が引き起こされ多くの難問を生じる。この場合、災害の事象に誰が対処するのか、されるのかと臆断するのをとどめ全ての人々が参与する過程を重視する点で納得できる防災の心構えだ▼気候変動は、マイクロプラスチック汚染は誰のせいなのか。全ての人に責任があるともないとも言えない世界で誰からか行動は呼びかけられている。(潤)