環境福祉学講座(149) 恩賜財団済生会理事長・富山国際大学客員教授 炭谷 茂

森林の多様な機能の認識

今では誰もが森林の持つさまざまな機能を知っている。集中豪雨で土砂崩れが発生すると、裏山を禿山にしたせいではないかと指摘される。最近は温室効果ガスを吸収するシンク機能の重要性が注目を集める。

林野庁のホームページによると、森林の有する機能として次のように整理されている。これらの大半が環境や福祉と密接な関係を有しているので、環境福祉学として注目すべきである。

(1)生物多様性保全

遺伝子保全、生物種保全、生態系保全

(2)地球環境保全

地球温暖化の緩和、地球気候システムの安定化

(3)土砂災害防止機能・土壌保全機能

表面浸食防止、表層崩壊防止、土砂流出防止、土壌保全、その他の災害防止機能

(4)水源涵養機能

洪水緩和、水資源貯留、水量調節、水質浄化

(5)保健・レクリエーション機能

療養、保養、レクリエーション

(6)快適環境形成機能

気候緩和、大気浄化、快適生活環境形成

(7)文化機能

景観・風致、学習・教育、芸術、宗教・祭礼、伝統文化、地域の多様性維持

(8)物資生産機能

木材、食糧、肥料、飼料、薬品その他の工業原料、緑化材料、観賞用植物、工芸材料 

森林はこのようにたくさんの機能を有するが、人々は、江戸時代までは(8)の木材の物資生産機能にのみ注目して、森林に接してきた。これに対し、江戸時代に入って、一部の地域では(3)の災害防止機能、(4)の水源涵養機能、(5)のレクリエーション機能の重要性を認識して森林管理を行うところが現れた。

これの理論的基礎を提供したのが、前回紹介した熊沢蕃山である。

熊沢蕃山の思想と活動

歴史的に熊沢蕃山が森林保全で重要な役割を果たしたことは、環境省に在職していた時に同省の職員から教えてもらって初めて知った。江戸時代に森林の多様な機能について主張し、岡山藩に大きな影響を与えたという先覚的な人物が、江戸時代に存在したことは意外であった。

蕃山は、1619年生まれで1634年に岡山藩に出仕したが、3年後に離れ、郷里の近江国に戻った。そこで、中江藤樹の門弟となって陽明学を学んだ後、再び岡山藩に戻った。岡山藩の藩主は名君の誉れの高い池田光政だったが、重用され、藩の発展のために活躍した。特に生活に苦しむ貧農家の救済に力を注ぐとともに、森林保護、治山・治水対策に実績を残している。

蕃山の思想と活動については、『熊沢蕃山の環境保全論が岡山藩における山林保護政策に与えた影響について』〔関智子・進士五十八「ランドスケープ研究」(2009年3月)〕に記されているので、これを参照しながら述べていきたい。

蕃山は「山川は国の本なり」と唱え、近時、山が荒れて災害が生じていることを述べ、池田光政に山林保護政策を進言している。これを取り入れた光政は1648年、切り株の掘り起こしの禁止法令を制定し、植林政策を行った。さらに1654年に無計画な伐採の禁止、1656年に領内の松の植樹が実施された。これらの事業によって数年後には木々が茂り、雨を降らせ、旱魃を抑えることに成功した。これが各地に知られ渡り、後の幕府による「諸国山川掟」制定の先駆けになったと、関智子・進士五十八論文では述べている。

蕃山の優れた点は、森林の経済的価値だけでなく、治山・治水機能を重視して実行し、結果を残したという先進的な取り組みにある。環境を構成要素全体を俯瞰して捉えている。このアプローチから新田開発に批判的な立場を取っている。

江戸時代の各藩では、藩財政を豊かにするために新田開発が進められた。有能と言われた藩主の方が活発に新田開発を行った。池田光政も例外ではなかった。しかし、新田開発は森林を伐採するので、水量の低下や川底の土砂の堆積を招く。また、水需要を増大させ、特に水の確保が困難な土地を農地に開墾すれば、河川の流れの改変など自然を破壊し、災害をもたらし、既存の農地さえ破壊されることになると蕃山は訴えた。

蕃山の警告は現在でも適用できる。アフリカ等の途上国では、経済発展のために山地を開発して農業用地を拡大するが、洪水や土砂崩れなど災害を招いている。

蕃山の思想は環境と人間との共生である。日本での環境倫理の先駆けと言える。

江戸時代ではそのほか、将軍吉宗が飛鳥山、品川御殿山、隅田川堤に庶民の娯楽のための桜を植栽したことなども、森林の多様な機能に着目したものとして有名である。

恩賜財団済生会理事長/富山国際大学客員教授 炭谷茂
恩賜財団済生会理事長/富山国際大学客員教授 炭谷茂