SX時代の企業経営―ポストSDGsを探る―(29) 水が創り続ける世界自然遺産―クロアチア・プリトヴィツェ湖群を歩く―
世界自然遺産の本当の価値
クロアチアという国名を聞いても、日本人にはまだ馴染みが薄いかもしれない。イタリアの対岸、アドリア海東岸に位置する人口約400万人の小国で、1990年代には旧ユーゴスラビア解体に伴う戦争の舞台ともなった。
しかし現在では、美しい海岸景観と豊かな自然を生かした観光立国としてヨーロッパでも高い評価を受けている。その象徴が、今回訪れた世界自然遺産プリトヴィツェ湖群である。クロアチア中部の山岳地帯に位置するプリトヴィツェ湖群国立公園は、79年に世界自然遺産に登録された。同国を代表する観光資源であり、「アドリア海の真珠」と呼ばれるドブロブニクと並ぶ「クロアチアの顔」ともいえる存在である。
下湖群の迫力、上湖群の繊細さ
公園は下湖群と上湖群に大きく分けられるが、その印象はまったく異なる。実際に歩いてみて感じたのは、その美しさだけではない。この世界自然遺産は、完成された景観を保存している場所ではなく、「現在も自然が景観を造り続けている場所」であるということである。
大小16の湖は階段状に連なり、その間を数え切れないほどの滝が結んでいる。湖から流れ出た水が滝となり、その下に新たな湖を形成する。この繰り返しによって、一つの巨大な水のシステムが形づくられている。
その原動力となっているのが石灰華(トラバーチン)の形成である。石灰分を含んだ湧水がコケや微生物の働きと相まって炭酸カルシウムを沈殿させ、天然の堤を作る。その堤が湖を生み、水があふれて滝となる。この自然現象が現在も続いていることこそが、プリトヴィツェの世界的価値なのである。
下湖群では、高さ約80メートルの大滝が圧倒的な存在感を放つ。断崖から一気に落下する水量は豪快で、峡谷全体が一つの巨大な景観となっている。展望台から見下ろす姿は実に迫力があり、訪れる人の多くが最初に感動する場所である。写真映えという点でも、この大滝はプリトヴィツェを代表する景観といえる。
一方、上湖群はまったく異なる世界である。大小の湖が静かにつながり、その間を数え切れないほどの小滝が結んでいる。コケに覆われた石灰華の壁を、幾筋もの細い流れが白いカーテンのように流れ落ちる。その繊細な景観は、大滝の豪快さとは対照的であり、むしろプリトヴィツェ本来の自然の姿を表しているように感じた。
歩くたびに湖の色が変わり、滝の表情も変化する。同じ景色がほとんど現れず、散策そのものが自然との対話になっている。
驚くべき水の透明度
現地で最も印象に残ったものの一つが、水の透明度であった。湖底の石や倒木がはっきり見え、場所によってはマス類と思われる魚が群れをなして泳ぐ姿も確認できた。湖面は光の加減によってエメラルドグリーンから深い青へと刻々と表情を変え、その透明感は写真では伝え切れない。
この澄み切った水があるからこそ、湖と滝が一体となった景観が成立している。プリトヴィツェは「滝の公園」ではなく、「水そのものを鑑賞する公園」であるといっても過言ではないだろう。
自然景観の美しさとは、派手な演出ではなく、水質の健全さによって支えられていることを改めて実感した。
利用者本位の公園管理
もう一つ感心したのは、公園の利用管理である。
園内にはAからHまで複数の見学コースが設定され、それぞれについて歩行距離や所要時間が明示されている。利用者は自らの体力や滞在時間に応じてコースを選ぶことができる。
さらに、湖を横断する遊覧船や電気バスがうまく組み込まれているため、全てを歩かなくても主要な景観を効率よく巡ることができる。高齢者や家族連れにも配慮された設計であり、世界自然遺産を幅広い世代が楽しめるよう工夫されている。
一方で、分岐点では進路の判断が難しい場所も少なくない。そのような場所では、各所に配置されたインフォメーションセンターや係員が的確に案内してくれる。利用者を単に規制するのではなく、適切に誘導しながら自然を楽しませるという姿勢が随所に感じられた。
プリトヴィツェ湖群を歩いて感じたのは、世界自然遺産とは単に美しい自然を保存するだけではなく、その価値を理解しながら、多くの人々が安全かつ快適に利用できる仕組みを整えることも重要であるということである。
次回は、この利用管理の思想をさらに掘り下げ、戦争を乗り越えて自然を守り続けてきた歴史や、日本の知床・屋久島・西表島などとの比較を通して、「世界自然遺産を守る」とはどういうことかを考えてみたい。
笹谷秀光(千葉商科大学客員教授 経営コンサルタント)