1990年頃は国内外の状況がドラスティックに変わりました。世界を2つに分けた冷戦は、片方が瓦解する形で終わりました。国内では、80年代のバブル経済が衝撃的に崩壊し、89年に昭和天皇が崩御、平成となりました。80年代は冷戦構造とバブル景気のもと、緊張、刺激、浪費があふれていました。90年代は、その反動から癒しを求め、自然を求め、花や緑が注目されました。 バブル手前の84年、東京都は「緑の倍増計画」を発表します。当時の鈴木都知事自ら本部長となり、全庁的に推進し、国や市区町村や都民にも協力を求める構えで、大規模公園、臨海部、河川、道路における21世紀初頭までの緑化倍増を目指しました。募金やみどり管理への市民参加も標榜する、意欲的な宣明でした。 街路樹については、「歩行者等の安全で快適な通行、美しい都市景観、防災上の役割など、都市生活に欠かせない最も身近な緑」と評価した上で、都道2千キロメートルの内、緑化は34%にとどまり、街路樹を剪定し過ぎることや、密度を高め、花や実のなる草木を求める都民の強い要望があることを指摘し、のびのびと豊かに育った街路樹づくりと、可能な限り道路緑化を進めました。 東京全体としては都市化の勢いに敵わず達成できなかったようですが、街路樹は順調に増えました。ただ、樹木の行き過ぎた剪定は止まず、今もって「のびのびした樹形」には程遠い有様です。 都政による緑化は、その後石原知事下で再び具体的な目標が示され、猪瀬知事にも樹木保護の姿勢がありました。しかし現小池知事下では、方針の中に緑化や樹木への言及が全くないのが異様です。 バブル後の90年に大阪で「自然と人間の共生」をテーマに花の万博(国際花と緑の博覧会)が開催されます。138日間に及ぶ、アジア初の国際園芸博覧で、140ヘクタールの会場に、83の国、55の国際機関、212の企業・団体が参加し、2300万人以上が来場しました。他自治体への波及効果も見られます。 東京都中央区は、同年「花の都宣言」をしました。「緑をはぐくみ 花をいつくしみ 生きとし生ける生命を尊ぶ 美しいまち 清潔なまち 思いやりと 人情あふれるまち…」と謳っています。 現在流行しているキャンプ旅行も自然回帰の傾向でしょう。コロナ後の志向は、90年代と重なりますが、より強い自然への渇望があるはずです。
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