関門海峡を挟んで本州と接し、古くから交通の要所として栄えてきた北九州市。1901年に日本で最初の近代製鉄所が誕生。大陸の鉄鉱石と背後にある筑豊炭田の石炭を利用した重化学工業が発展し、日本の四大工業地帯の一角を占めるまでになった▼近代化、高度成長を牽引した同市だが、こうした産業発展は一方で深刻な公害をもたらした。60年代、洞海湾は大腸菌も住めない「死の海」と呼ばれ、工場が林立する周辺地域は国内最悪の大気汚染を記録するほどだ▼そうした激甚公害を経験した同市は、市民・行政・企業が一体となって対策に取り組み、80年代には「奇跡の復活」を果たす。今や日本を代表する環境先進都市として資源循環、低炭素、自然共生が連携した街づくりを進めている。こうした点が評価され、4月にはOECDの「SDGs推進に向けた世界のモデル都市」にアジア地域で初めて選ばれた▼同市は今年、下水道事業100周年を迎える。昨年から記念行事が行われており、7月には下水道展が開かれる。同展に出展・参加予定の小紙読者も多いと思われるが、この機会に会場以外にも足を伸ばし、公害を克服した歴史を振り返るとともに、持続可能な街づくりの最先端に触れてみるのもいいかもしれない。(宜)
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